獅子舞の資料

Contents:志村隆昭 氏

獅子舞のルーツ

<起源>

 インド地方の信仰からライオンが神格化され、宗教行事の獅子舞として生まれ、チベット、中国、東南アジアへと伝わり、各国で独自の獅子舞ができあがりました。

<伝来>

 奈良時代以降に中国、朝鮮半島、東南アジアなど三つのルートで伝えられたそうです。
 獅子舞が日本各地に急速に広まったのは、室町時代から江戸時代の初期のころ江戸大神楽師、伊勢大神楽師とよばれる神事を仕事とする一団の悪魔払いの祈祷獅子が全国をまわった結果であると言われています。

<種類>

 日本には大きく分けて2種類あります。

「伎楽系」
西日本では、獅子の頭から胴幕の中に二人以上が入って舞う「二人立ち獅子舞」が多く、楽器演奏を伴う無言の仮面劇です。

「風流系」
関東・東北地方では、鹿舞(ししおどり)があり、鹿(しし)の頭をかぶり胸に太鼓を付けた一人立ちの舞で、太鼓を打ちながら踊ります。

<流行>

 江戸時代以降、徳川幕府により日本が平和になり、産業・経済・文化・芸術が急激に発展、人口も増加しました。地域の村へ、巡回してきた神秘的な三匹獅子舞を演舞する演劇団に衝撃と憧れを持ち、崇拝と貴重な娯楽として一大ブームになったものと思われます。

 獅子舞は、技能の伝承に長い時間を費やしたことから、人の流動が少ない農村部中心に広まりました。江戸の中心地では多人数が簡単に楽しめる、お神輿や山車などさまざまな娯楽が普及しました。 

<継承>

 西多摩地方に多数保存されている巻物「日本獅子舞之由来」 には秘文や真言、貴重な技は門外不出で地区から出て演ずることを禁止した厳しい約束事や、芸能一門の師匠から奥義を究めた証として授けられる免許状として 記されており、師匠から地区への継承には数年から四十年近くかかっています。

<特色>

 獅子舞は、現在多摩地域には約60か所位伝承されていると 言われています。獅子舞の起源については、村人が自然の威力をまだ科学的に理解することが出来なかった頃、その威力を神という存在で崇めました。時には神 の威力は災いをもたらし、洪水、長雨、干ばつ、病気などとして、村人の生活を脅かしたり苦しめてきました。これらの神の怒りを鎮め、悪霊を祓うために祈 り、逆に神の力を借りて人々に豊かな生活を願うような祈願をするようになりました。例えば雨乞い、嵐除けなどを通して五穀豊穣、風雨順泰を願い、悪例を鎮 めるシンボル的存在の一つとして考えられた空想的な霊物が、獅子であったと言われています。
 獅子舞は、舞うことを狂うという言葉で表現します。演技者が上手に舞うことを、狂い方がうまいといい、反対を狂い方がまずい、という言い方をします。
 風流系の1人立ち3頭獅子舞では、角のある雄 獅子[大頭(おおがしら・だいがしら)、小頭(こがしら・しょうがしら)]と一般的に角のない雌獅子の3頭1組で舞い、角のある雄獅子が1頭の雌獅子をし のぎあって争う姿は迫力があり、また子孫繁栄を願う性本能の厳しさや何者を押しのけたいという情念を感じて、時代を超えて共感するものがあります。

 

各説明

<三匹獅子>

 上代継獅子舞いは、大頭(だいがしら)、牝獅子(めじし)、小頭(しょうがしら)と呼びます。
 奥多摩方面では、大太夫(おおだゆう)、女獅子(めじし)、小太夫(こだゆう)と呼び、
数馬方面では、大獅子、中獅子、後獅子と呼びます。

<花笠>

 花笠は少女がかぶり、ささら摺りをしています。 ささら(簓)は、多数の溝を彫り込んだ竹の棒を、細い棒で擦ることにより音を発する民俗楽器です。秋の稲穂が擦れあう擬音を「ささら」といい、五穀豊穣の意味があります。

三匹獅子舞いが創始された初期では女装した男子がささら摺りをしていたそうです。現在でも、板橋区、町田市、稲城市、栃木県、茨城県、千葉県、新潟県、山形県の花笠は男性がささら摺りをしています。

 花笠は四つであることから「四天王」や「春・夏・秋・冬」になぞられているようです。

<女獅子隠し(めじしがくし)> 

 男女の三角関係、恋の葛藤を表す演目です。 三匹獅子舞いの共通している演目で中核となるものです。

 三匹の獅子たちを突然の濃霧が襲い、女獅子がはぐれてしまいました。 
 大頭(だいがしら)、小頭(しょうがしら)が相談し、それぞれ女獅子を探し回ったところ、小頭が先に女獅子を見つけ出しました。小頭は女獅子を連れ帰り、自分たちの巣をかまえてしまいました。 

 そうとは知らない大頭は女獅子を探し回りますが、なかなか居所がつかめません。しかし、ついに小頭と仲良くいるところを突き止めました。 大頭は、小頭の油断しているすきに女獅子を連れ出そうとしますが、小頭に未練を残す女獅子はなかなかなびきません。途中まで苦労して連れ出しても、すぐに小頭の元に逃げ帰ってしまいます。 

 しかし、何回も執拗に誘い出しをかけているうちに、ついに女獅子の心が大頭になびくようになります。大頭と女獅子は互いに仲良く回転しながら舞った後、庭場の反対側に自分たちの巣をかまえます。  その後、大頭は独りぼっちになった小頭を「ざまあみろ」と脅しにいきます。小頭は意気消沈してしまいます。なかなか立ち上がれませんが、それでもしだいに元気になり、今度は大頭たちの居所を突き止めようと探し回り始めます。 

 小頭が女獅子を連れ出した後、いよいよ大頭と小頭がケンカを始めます。このとき、ケンカを見かねた女獅子は仲裁に入り、三匹の獅子たちは再び仲直りして楽しく舞うようになります。

<千秋楽>

 西多摩地方の多くの獅子舞の最後に千秋楽を行いますが、これは能の「高砂」から取り入れたと言われています。

 


<東京獅子博物館>

 獅子舞研究家であり民俗芸能学会会員でもある峰岸三喜蔵氏が平成23年(2011年)に開設した獅子に関する珍しい博物館。
 館長が25年間かけて日本各地の三匹獅子舞を取材して収集した獅子頭や獅子舞の道具など約700点を展示している。

 

住所:東京都西多摩郡檜原村樋里8707-1 
電話: 042-598-1210 
交通: JR五日市線武蔵五日市駅から西東京バス藤倉または小岩行きで小岩下車すぐ 
マイカー:五日市駅から西へ檜原街道を走り、十里木の信号を左折、橘橋の信号を右折。
郷土資料館を過ぎて、しばらく奥へ進んだところの左手。


開館時間:午前10時から午後4時
休館日:毎週火曜日(祝日の場合は翌日)年末年始(12/26~1/3)

入館料:一般 300円  子供 100円

 

あきる野市の獅子

五日市入野獅子舞保存会

小宮神社獅子舞保存会

高尾獅子舞保存会

 高尾の獅子舞がいつの時代から高尾に伝わったか詳しいことはわかっていませんが、この様な獅子舞は、今から300余年昔の元禄年間に流行したと言われているので、その頃かと思われます。
 今から226余年前の大光寺天明の火災で獅子も焼失する、4年の後新たに彫る、法光院で初舞いと大悲願寺の萬記録に記されています。高尾の獅子は龍頭で、大頭、雌獅子、小頭と呼び、五穀に感謝する豊年祭りが行われています。
 現在は9月9日に近い日曜日に会場の高尾公園に青竹を立て七五三を張った庭が作られます。

 高尾神社に奉納した獅子舞は村廻りといって自治会全域を巡行して廻ります。途中3軒の民家と老人ホームに寄って獅子舞をします

星竹嵐除獅子舞保存会

乙津(一)大神楽保存会

「郷のにぎわい」

発行日平成18年9月15日発行
発行元あきる野市郷土芸能連合会

15周年記念「あきる野市郷土芸能祭り」
発行元:あきる野市郷土芸能連合会
発行日:平成24年3月11日
 より引用

上代継獅子舞保存会

瀬戸岡獅子舞保存会

『血気盛んな喧嘩獅子・機敏無比な棒術』瀬戸岡の獅子舞、棒術はこの言葉に凝縮されているので はないでしょうか。  

 遡ること三百年、甲州から伝わり親から子へ連綿と伝承された獅子舞は眼光鋭く鼻が高い。舞は屈伸、躍動激しく、やや調子がいいのが特徴 で、そこが『喧嘩獅子』と言われる所以です。

 棒術は、江戸時代末期に尾崎で天然理心流の道場を開いていた大西政十氏から伝授されたとのことです。棒対棒の みでなく、対太刀、太刀対太刀と連続する演目もあります。棒を交える姿は凛々しく、かたずを呑む局面が続きます。

 例大祭は敬老の日の前日に、全体の練習は 十日間、また笛を中心とした集中練習を三ヶ月行い技術の向上に努めています。

 近年、老若男女とわず笛を志す者が増え、益々活気に満ちています。

鹿島流獅子舞引田保存会

 引田の獅子舞は、440年程前の天正の頃(1573年~1592年)伊豆の國の住人、大江十 郎重吉が三頭の獅子を刻んできたので、村人達がこれを天神地祇に供え天下太平、五穀豊穣、風雨順泰を祈り引田三眞照寺行堂で三日三晩、獅子舞を行ったもの が起源であるとされています。以来、年に一度のお盆の時期に引田の獅子舞(風)祭りとして伝承されてきました。

 昭和47年に保存会組織とし、東京都郷土芸 能協会に加盟、小学生に対する後継者育成や都内各所の芸能フェスティバルに積極的に参加してきました。現在、保存会員は170名余りいます。平成22年に 約50年振りとなる獅子頭の漆塗り替え、23年度は明治安田クオリティオブライフ文化財団の助成を得て子供用獅子舞衣装を新調しました。

 引田の獅子舞には 13通りの演目があり8月の旧盆に近い日曜日の例大祭で13通り全てを奉納・披露しています。

山田獅子舞保存会

 山田獅子舞は一時期途絶えましたが、昭和46年、山田獅子舞保存会の結成により復活し、このたび40周年を迎え、獅子頭の塗り替えと水引の新調を行いました。
 学術上の分類は、風流系一人立ち三匹獅子舞で、古老の伝承では「武田流」とも伝えられています。
 現在伝わる曲目は「藤掛かり」「三拍子」「花掛かり」「女獅子隠し」「竿掛かり」の五曲ですが、この他に「雷切り」「太刀掛かり」の二曲が在ったことがわかっています。
 元来雨乞い獅子で神社祭祀には属さず、祭礼は9月1日でしたが、現在は9月第一日曜日です。
 獅子の舞方は男性に限られていましたが、当会は秋川流域の中では早くから女性に門戸を開き、今では、若い女子からママさんまで、獅子の舞方と笛方とが女性だけで揃うほど活動的です。


獅子舞写真集

下名栗獅子舞(埼玉県飯能市下名栗)2013年8月24日(土)撮影 

 

鹿島流獅子舞引田(あきる野市引田)2013年8月11日(日)撮影 

 

一の谷小学校伝統文化発表会(あきる野市引田)2013年2月9日(土)撮影 

 

樋里獅子舞(檜原村樋里)2012年9月1日(土)撮影 

 

根元神社獅子舞(奥多摩町栃久保)2012年8月26日(日)撮影 

 

小留浦獅子舞(奥多摩町小留浦)2012年8月26日(日)撮影 

 

青木神社獅子舞(奥多摩町大丹波)2012年8月26日(日)撮影 

 

棚沢獅子舞(奥多摩町棚沢)2012年8月19日(日)撮影 

 

元栖神社獅子舞(奥多摩町)2012年8月19日(日)撮影 

 

海沢獅子舞(奥多摩町)2011年8月7日(日)撮影 

 

奥氷川神社獅子舞(奥多摩町)2010年8月8日(日)撮影