上代継の歴史

Contents:志村隆昭 氏

代継(よつぎ)について

 今は上代継、下代継に分かれていますが『新編武蔵風土記稿』には「今、上下二ヶ村に分れたれど、正保の比のものには、合して一村とせり」とあることから、正保の頃、(1644~47年)には、一村でした。

 

上下二村に分かれたのは享保3(1718年)8月でした。

 

 代継は古村です。『讃岐役所当番衆覚書』に、秋川流域の諸村と共に出てきます。江戸時代は小宮領の中で、はじめは天領でしたが、後転変し、幕末は竜ヶ崎領分となりました。
 明治5年(1872年)上、下代継村とも神奈川県、同11年(1878年)西多摩郡に所属、同22年(1889年)西秋留村成立と同時に大字となって、現在に至っています。

 「ヨツギ」という地名は、世継、代継、代次、四ツ木、四木、余次などと書かれている。では「ヨツギ」とはどんな意味があるのでしょうか。
 吉田茂樹氏の『日本地名語源事典』によれば、ヨツギホダ(世継榾)の約化で、炉に入れる木の切れ端を産する所、またはこれを「世継様」と称して、炉の火力が強くなるように神に祭った所をいうとあります。
 ヨツギホダ(世継榾)について『日本国語大辞典』によれば、

 年越しの夜、家の象徴としての火の永続と一層の発展を祈る意味を込めて、炉にくべる大きな、たきぎとあります。

 柳田国男翁が、『火の昔』という名著の中で、「榾と埋火の章」をおこして、ヨツギホダの周辺を明らかにしています。

 以前、中央の立派な家々にも必ず炉があって木を焚いていた時代には、榾はその炉の四隅から、太い長 いのを一本づつ出して、真中で交叉させて焚くのが本式であったかと思います。ヨツギ榾といふ語が今でも残って居て、四つ木といふことらしく想像せられるか らであります。しかし熊野地方などに今日その語のあるのは、文字に世継と書いて居て、正月のめでたい休みの期間、炉にたく榾だけに限って、此名を以て呼ぶ ことになって居ますが、是は全く一年の大事な節の日だけ、せめて古来の本式を以て家の火を守り、他の火には都合によって簡略にしてもよいとしたのが、後次 第に正月だけの作法となり、色々な説明が附くことになったのかと思われます。            (「火の昔」『定本柳田国男集』第21巻218~219項)

 今、ヨツギの表記に代継、世継、世ツ木などと書かれていますが、本来は「四ツ木」が元であったといいます。

 昔の家の生活では、火種を絶やさぬことは主婦の重要なつとめでした。昔は火をつくる方法がむずかしく、 火種として火持ちよい木が尊重されていました。こうした火留めに使う木を、越後などでは火休め木、九州では火のトキ、又はヒケギなどとよんでいます。こう した木を榾とよんだらしく、よく燃える松の木などよりも樫(かし)かウバメガシ、椿などの堅い木が選ばれたのでした。

 こうした木が四ツ木であって、火種として重要でした。だから四ツ木は堅木でなければなりません。『全国方言辞典』(東条操編、東京堂)にはヨツギホダ(代継榾)の説明に、

 大みそかの夜いろりにくべる生樫の太い薪(和歌山県日高郡)

とあって、はっきりと「生樫の太い薪」としています。
 本来はヨツギは「四ツ木」でしたが、ヨの意味がすこしずつ変化して、「よとは戸主の世代を意味するととんもに、年年の豊作をいう」(山本健吉編『最新俳句歳時記』冬、文芸春秋、303項)ようになりました。代継榾は俳句の季語では冬です。

 

 代継、世ツ木という地名は、こうした堅木の榾を産する場所をさしていたものとみてよいでしょう。

 

 地名調査の際、古老の談に、「代継は、昔、代継縫右衛門という北条家の家臣が、代継城に住んでい た。北条氏が亡びてから後は、代継で農業を営んだという。その代継氏から代継の村名が出た。」という地名発生譚がありました。しかし「代継」は古村ですし、む しろ代継氏は、代継の地名をとって名字としたと考えられます。

 安政2年(1855年)書上(萩原家文書)では、

 

 上代継村
 村高 166.4石
 家数  44軒
 人数   男 104人
       女 110人
      合計 214人
        馬 6匹

 下代継村
 村高 199石
 家数  35軒
 人数   男 89人
        女 85人
      合計 174人
        馬 1匹

 

となっています。

『秋川市地名考』秋川市教育委員会 発行(1000部限定)
より引用


西多摩近辺で使われる方言

・あすけら、どけら、そけいら(その辺)

・いのかない(動かない)

・いわっちゃった(困った)

・うざったい(気持ち悪い)

・うっちゃった(捨てた。捨てちまえ)

・おっぱしゃった(先に行く、いなくなる)例:彼が・・・

・おっぺいしゃった(押しちゃった)

・ささらほうさら(ほっとけ)

・せな(兄)、しゃてい(弟)

・だんべ(俺たち)

・ちっとんべ(ちょっと)

・ちゃうした(忘れた)例:そけいらに・・・

・ていてい、ていげい(だいたい)

・のめっこい(つるつるしている)例:肌が・・、棒が・・

・べや(だろう!)

・ほうけじゃった(固くなった。大きくなった)例:野菜が・・・

・まっと(もっと)


昭和初期の上代継 周辺地図

1933年(昭和8年)8月25日印刷の上代継周辺の地図
 大日本帝国陸地測量部作成 所蔵先:米国スタンフォード大学

 

上代継 古き懐かしき写真

写真 1~20 : あきる野市上代継  志村隆昭氏 提供

1. 白滝神社入口 1952年(昭和27年)7月16日

2. 真城寺 1953年(昭和28年)7月16日

3. 上代継 1952年(昭和27年)

4. 秋川より、上代継、大岳山を望む 1952年(昭和27年)

5. 秋川より上代継、大岳山を望む               

          1955年(昭和30年)11月22日

6. 秋川駅(旧西秋留駅)1955年(昭和30年)4月4日

7. 秋川駅(旧西秋留駅)1955年(昭和30年)4月4日

8. 秋川駅の桜(旧西秋留駅)1955年(昭和30年)4月4日

9. 秋川駅(旧西秋留駅)1957年(昭和32年)4月5日

9. 秋川駅(旧西秋留駅)1957年(昭和32年)4月5日

11. 上代継の秋川で美空ひばりの撮影          1956年(昭和31)6月14日

12. 上代継の秋川で映画撮影現場

         1956年(昭和31年)6月14日

13. 上代継付近の秋川 1958年(昭和33)年4月15日

14. 上代継付近の秋川 1958年(昭和33年)4月15日

15. 上代継付近の秋川 1958年(昭和33)年4月15日

16. 志村氏宅より秋川丘陵を望む            

         1955年(昭和30年)1月13日

17. 志村氏宅周辺 1955年(昭和30年)11月14日

18. 志村氏宅より秋川丘陵を望む             

         1956年(昭和31年)9月13日

19. 志村氏宅周辺の雪 1957年(昭和32年)2月4日

20. 志村氏宅より秋川丘陵を望む 2015年5月10日


みなさまより上代継の歴史の関する資料や、昔の写真の提供を頂ければ幸いです。